深夜、ビールを飲みながら、谷川俊太郎太田大八のかがくのとも「とき」をひらくと

ねむっているあいだにも ときは すぎてゆく
ときは けっして あともどりしない
だれも ときを とめることは できない

とあって、ドキッとしてしまった。
「あともどり」できないことは知っている。けれど、こうしてあらためて知らされると「とき」という流れのなかにいる自分のありかたを考えさせられ、我に帰るような気持ちになるのだった。

「とき」のはじまりを考えるとめまいがする。「とき」にはじまりはあるのだろうか。そしてこれからもずっとつづいていくのだろうか。はじまりとおわりがないものなどあるのだろうか、とあたまのなかを「?」がぐるぐるとまわる。
しかし確実に感じることができるのは
いまここにいる
ということだろう。


この本は「わたし」が生まれるずっとまえの「おおむかし」から「おとうさんのこどものころ」や「おとうさんとおかあさんのけっこんしき」などを経て「いま」までが描かれている。
それは宇宙の果てから徐々にズームアップしていき、最後はひとりの人間に行き着くような(そういえばフィッシュマンズに「宇宙 日本 世田谷」というアルバムがあったなあ!)おもしろさがあった。

本書はわたしがいまここにいるということの不思議について考えるヒントを与えてくれる。

谷川俊太郎 ぶん 太田大八 え 「とき」かがくのとも51号  2,000円
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